FCWA会員自己紹介

2020.12.1

JA7BPJ局


 ●無線局の開局( 食事の時間もそこそこにム−ム−となって半田ごてを握っていた頃。)

 昭和37年 高校生の時、真空管やコンデンサー等の部品を買い集め受信機( 高1中2 真空管とトリオのコイルパックを使用して ) 送信機 (送信管 UY807 )変調器 ( 6V6 PP)を自作して、電話級の従事者免許で開局しました。

 その後は、50MHz、145MHz、430MHz、HFのリグはメ−カ−製のリグで運用しています。車もバイクも無い時代は、自転車にバイクのバッテリ−を積み12Vのライト用発電機で充電しながら、トリオのTR5000で移動運用や通勤したことも懐かしいです。


CWについて

 高校生の時、放課後の時間にOMの指導でキ−の使い方等の訓練をいただいた。現在は製造年度が古くなった八重洲無線機製のFT-1000 200Wで運用中です。


無線設備について

 アンテナは、7MHzのフルサイズ3エレ八木は降ろしたまま、14MHzフルサイズ6エレ八木、ワークバンド、80mから6mのダイポ−ルと145MHz430MHzのGPです。

 使用電鍵は、ハイモンドの縦振りHK-1Z、HK-802 バグキ−BK-100 バイブロのコ-ドウォ−リ等です。(購入品リグ等の回路図は、全て取り寄せて故障した時のために保管している。)


非常通信で表彰状 ( 社会貢献 )

 平成6年2月 厳冬の吾妻山で7人(5人死亡)の山岳遭難が発生しました。この時、捜索救助に従事し、アマチュア無線機による非常通信を行い、人命救助にかかわる貢献をしたことが評価されて、中央非常通信協議会会長(当時の郵政大臣)より表彰状を授与されました。携帯電話も無い時代でハンディ機での運用でした。カメラもフイルムのみで、記録写真の撮影等大変でした。上空に何台もの報道ヘリコプターが飛ぶ大きな事故でした。


近況と今後の抱負

 山歩きも遠くなり、無線機を持ち歩くことも無くなりました。

 毎週月曜日は、和文の受信練習会が何よりのボケ防止にと期待しながら取り組んでいます。

 毎日ほとんどの時間は、家庭菜園で土いじりが日課です。やること、考えることが無限です。

 寝床で野菜や果樹の本を読むことが、眠り薬です。(ラジオ放送を聞きながら!!)

 やめた趣味は、写真撮り(リンホフ製大判カメラ4×5インチ、ニコンF3 )しばらく使っていない。ビデオ撮影もやめた。 バイク乗り( 大型バイク K1200S BMW )もやめました。

 今後は、健康長寿を目指して、適度な運動と食事に気を付けたいと思います。

 これまで開局して60年も飽きずこりずに、無線を続けてこられたのも皆様各局に支えられたからで感謝の極みです。今後ともよろしくお願い致します。

 JA7BPJ 梅津 正美