FCWA会員自己紹介
2021.5.1
JE7EOR局
各局、こんにちは。 JE7EOR 菅野 徹(かんの とおる)と申します。 私の順番が参りましたので自己紹介をさせて頂きます。 しばらくお付き合い下さいませ。 無線との出会い 最初に思い出す無線との出会いは、父が行っていた通信を見ていたことによります。トランシーバーは八重洲のFT200S(以前飯舘村で見て頂いてものです)とトリオ(現KENWOOD)のTR1100でした。(今も実家にはあります) 小学5年の時、当時の児童文化センター(現放射線モニタリングセンター)にあったアマチュア無線クラブに入り資格取得の為に勉強を始めました。けれども興味の中心は当時買ってもらった「短波の入るラジカセ」で遠くの放送局の放送を聞くことでした。(当時BCLブームでしたね) 初めての国家試験 中学1年の時、電話級の試験を受けたのですが、よく理解できていなかったためか合格しませんでした。 中学2年の時も試験の申し込みをしたのですが、修学旅行と重なってしまい受験しませんでした。 中学3年の秋、高校受験が間近でしたが、完マル(完全丸暗記問題集)を暗記して臨み合格しました。 けれども、初運用は高校合格までおあずけでした。 初運用、そして楽しみ 高校に無事合格し、初運用は家の近くにあった大森城山で行いました。無線と高校の合格祝いとして八重洲のFT290を買ってもらい運用したのですがとてもドキドキしたことを覚えています。 父と一緒に家の庭にHF用にバーチカルアンテナを立てたり、2m用の小さい八木アンテナをたてたりして楽しかった記憶があります。 その中で八木アンテナを吾妻山の方へ向けると2mでも石巻、気仙沼、岩手県南部の室根山とつながることがおもしろくてどんどんはまっていました。 HFでは21MHz帯で4エリアの局で小笠原の父島に運用していた局とつながりこれが最長交信距離でした。 しばらくのお休み期間へ 楽しかった時期が過ぎると将来の進路のことを考える時期となりました。楽しい思い出を活かす仕事を、と考え大学工学部の通信系学科を目標にしたのですが、学力が届かず1年学びの期間を許してもらうことになりました。 翌年、進路はなぜか医療技術系の短大に変更しました。短大では「無線部」はなく「山の会」に入部しました。学業の傍ら山に登り続けていました。そんな中、電信級の試験が「電気通信術」の受信だけになった、ということを知りまた学校が仙台市で市内に下宿していたことから「電信級」の試験を受け今度は一度で合格しました。 「電信級」の資格を取得しても無線機は実家に置いてあったことから無線を行う事はなく、学校を卒業しました。 卒業後は福島市へ就職し、自宅から通っていたのですが仕事柄休日出勤やら平日も夜間の呼び出しなどが多く、また学生時代から続けていた山登りや就職後に始めたマラソン大会の参加など興味の対象がいろいろ広がって無線からは離れていました。 再び無線へ そんな時同じ職場の先輩に、パケット通信の勉強会があるんだけど出てみない?とのお誘いを頂きました。その時は仕事の都合がつかず参加できなかったのですが、今思うとJA7SSBの齋藤醇爾さんが企画されていたのかな、と思います。 その後、CQ誌でFCWAのCW講習会のことを知り何度か参加させて頂きました。その中でアマチュア無線、特にCWの奥深さを知り再開したい、という気持ちを持つようになりました。 けれども気持ちだけは持ち続けているのですが色々な事情から現在でも実現できていません。 出来るところから少しずつアマチュア無線特にCWに時間が取れるようにしていくつもりです。 どうか今後ともよろしくお願いいたします。 現在の唯一の無線設備、クルマにつけたモービルホイップ リグはアイコムIC2340。他にKENWOOD TH77もあります。 |