<CW エピソード?>
・私のコールサイン JH7DEZ をCWで 打つと
「JH7 こちらは(DE) Z」 です。
コンテスト時等は、結構な頻度で 「JH7 ??」が返ってきます。
・実は 和文と横振(持ってます)が出来ません。(縦振キーのみです)
<就職して 別世界のハムの世界>
◇ 同期の大卒・電波高専卒のお兄さんたち・そしてOM ・・・ HAMの世界は奥が広い?と思った。
・ 会社の寮 ・・・ 12人くらいの規模の寮にコールサイン保持者が7人
JA2***のお兄さん なんと全自作のHF機で実家で電監の検査を受けて100Wを下したとな ・・・ 身近に本格的自作派が
別なお兄さん TRIOの2mモービル機を購入してきて回路図を見ていたかと思うと、次の日いきなりPLLを改造するわ(別な先輩曰く 改造がうまいんだよなぁ〜) 新車で購入した車の屋根に穴をあけてアンテナをつけるわ ・・・ ほー
・ 会社の上司 1976年ごろの話
2m 430MHzの大御所 「八木アンテナのエレメントを銀メッキにすると飛ぶ」 だの 当時1個 4〜5万円するGaAsのFETを 数個飛ばしてプリアンプを作り、会社の昼休み コソコソNFはかって悦に入ってました。 そんなにお金使えるんだぁ〜
なんでも 常時 千葉県と六甲がつながっているとか????
<ハム歴>
小学校6年の時に「ハム」を知りましたが、当時 会津若松の小学校の修学旅行先の「仙台」は遠い存在でした。
昭和48年4月 高校入学とともに JA7YCB入部
同級生には JA7K** JA7SSC JA7V** JA7が居る時代でした。(憧れのアルファーコール)
入部早々 4月末のALL JAコンテストを徹夜(高校生は部活動で徹夜なんだぁ)で当時は紙ログだったので重複交信確認担当
秋 国家試験(仙台 八木山)初体験 電話級取得
12月 JH7DEZ開局 RJX601(50MHz3W) + スクアローアンテナ
昭和49年 春 国家試験(仙台 合同庁舎?)初の 通信術 受信・送信試験体験を経て電信級取得 : 受信試験会場の反響のすごさと 本物の25文字/分の遅さに びっくり
昭和50年 春 初めての一泊一人旅で仙台 第2級 (学科試験記述式:「平衡変調」とか漢字の学習も大変でした) 取得
第2級で全ての周波数・電波形式に出れるし(そうそう その当時SSTVは2アマ以上が必要だった) と 当時は勝手にアマチュア無線の資格取得終了の区切り
昭和51年 春 就職とともに1エリアへ 住所変更にてJL1のコールサインへ
寮の2階の窓にぶら下げた50MHzGPでローカルは10局以上いた時代
昭和54年頃 430MHzがポピュラーになりつつある時代、2m⇒70cmへの市販のアップバータが発売になりアローラインで遊ぶ
昭和60年 7エリアに転勤とともに再びJH7DEZへ
平成 8年 春 和文が無くなった最初の国試にて 第1級 取得 通信術は受信のみ
平成11年9月 ・・・ 意図はしてませんでしたが防護指針前 最後
検査官に「高さはどのくらいあるんですか?」・・・今思えばギクッ
50MHz のみ 500W (市販200Wリニアにウイルキンソン型合成器を作り、
2台並列の400Wにて)免許 ・・・3台合成の600Wも出来るらしかったがここまで
新スプリアス対応の第2送信機追加時まで 50MHZのみの免許状でした。
・ その後 ほぼ進化せず現在に至り
令和元年 FCWA 電子工作 に参加させて頂いたのち、刺激により和文学習中 アイウエオ順の50音 カ行で足踏み中
・ なお、英語ができないので国内QSOのみ
<近況>
・相も変わらず 99.5% 6m
実は約1時間の車通勤時に暇なので、2m・70cmのハンディを積んでワッチ中なるも相手がいない
・6m AMモードで色々勉強させて頂いております。
・なんとか 80mに出るべく計画中
<希望・抱負>
@ 和文習得しFCWAのRCへの参加
A ハムライフ模索中
<シャック紹介>
・RIG
・アンテナ 6m8エレとAH4デルタループ 東京方面に山あり
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