FCWA会員自己紹介

2020.6.1

JH7DEZ局


<CW エピソード?>

 ・私のコールサイン JH7DEZ をCWで 打つと
  「JH7 こちらは(DE) Z」 です。
  コンテスト時等は、結構な頻度で 「JH7 ??」が返ってきます。
 ・実は 和文と横振(持ってます)が出来ません。(縦振キーのみです)

<就職して 別世界のハムの世界>

◇ 同期の大卒・電波高専卒のお兄さんたち・そしてOM ・・・ HAMの世界は奥が広い?と思った。
 ・ 会社の寮 ・・・ 12人くらいの規模の寮にコールサイン保持者が7人
  JA2***のお兄さん なんと全自作のHF機で実家で電監の検査を受けて100Wを下したとな ・・・ 身近に本格的自作派が

  別なお兄さん TRIOの2mモービル機を購入してきて回路図を見ていたかと思うと、次の日いきなりPLLを改造するわ(別な先輩曰く 改造がうまいんだよなぁ〜)    新車で購入した車の屋根に穴をあけてアンテナをつけるわ    ・・・ ほー

 ・ 会社の上司 1976年ごろの話
  2m 430MHzの大御所 「八木アンテナのエレメントを銀メッキにすると飛ぶ」 だの 当時1個 4〜5万円するGaAsのFETを 数個飛ばしてプリアンプを作り、会社の昼休み コソコソNFはかって悦に入ってました。  そんなにお金使えるんだぁ〜

 なんでも 常時 千葉県と六甲がつながっているとか????


<ハム歴>

 小学校6年の時に「ハム」を知りましたが、当時 会津若松の小学校の修学旅行先の「仙台」は遠い存在でした。

 昭和48年4月 高校入学とともに JA7YCB入部
 同級生には JA7K** JA7SSC JA7V** JA7が居る時代でした。(憧れのアルファーコール)

 入部早々 4月末のALL JAコンテストを徹夜(高校生は部活動で徹夜なんだぁ)で当時は紙ログだったので重複交信確認担当

 秋 国家試験(仙台 八木山)初体験  電話級取得

 12月 JH7DEZ開局 RJX601(50MHz3W) + スクアローアンテナ

 昭和49年 春 国家試験(仙台 合同庁舎?)初の 通信術 受信・送信試験体験を経て電信級取得  : 受信試験会場の反響のすごさと 本物の25文字/分の遅さに びっくり

 昭和50年 春 初めての一泊一人旅で仙台 第2級 (学科試験記述式:「平衡変調」とか漢字の学習も大変でした) 取得

 第2級で全ての周波数・電波形式に出れるし(そうそう その当時SSTVは2アマ以上が必要だった) と 当時は勝手にアマチュア無線の資格取得終了の区切り

 昭和51年 春 就職とともに1エリアへ  住所変更にてJL1のコールサインへ
        寮の2階の窓にぶら下げた50MHzGPでローカルは10局以上いた時代

 昭和54年頃  430MHzがポピュラーになりつつある時代、2m⇒70cmへの市販のアップバータが発売になりアローラインで遊ぶ

 昭和60年   7エリアに転勤とともに再びJH7DEZへ

 平成 8年 春 和文が無くなった最初の国試にて 第1級 取得 通信術は受信のみ

 平成11年9月 ・・・ 意図はしてませんでしたが防護指針前 最後
         検査官に「高さはどのくらいあるんですか?」・・・今思えばギクッ
         50MHz のみ 500W (市販200Wリニアにウイルキンソン型合成器を作り、
         2台並列の400Wにて)免許 ・・・3台合成の600Wも出来るらしかったがここまで
         新スプリアス対応の第2送信機追加時まで 50MHZのみの免許状でした。

 ・ その後 ほぼ進化せず現在に至り

 令和元年    FCWA 電子工作 に参加させて頂いたのち、刺激により和文学習中 アイウエオ順の50音 カ行で足踏み中

・  なお、英語ができないので国内QSOのみ


<近況>

 ・相も変わらず 99.5% 6m

  実は約1時間の車通勤時に暇なので、2m・70cmのハンディを積んでワッチ中なるも相手がいない

 ・6m AMモードで色々勉強させて頂いております。
 ・なんとか 80mに出るべく計画中


<希望・抱負>
@  和文習得しFCWAのRCへの参加
A ハムライフ模索中


<シャック紹介>

 ・RIG 



 ・アンテナ 6m8エレとAH4デルタループ 東京方面に山あり