FCWA会員自己紹介

2021.10.1

JH7UBC局



 皆さん こんにちは 喜多方市のJH7UBC 畠惠治です。1950年(昭和25年)生まれで今年で71歳になります。2000年にFCWAに入会して早いもので会員歴は21年になりました。

 1968年(昭和43年)に電話級の免許をとり、1977(昭和52年)年に開局しました。開局はしたものの転勤族のため、会津各地を転々とし、HF,VHFの電話で細々と無線を楽しんでいました。

CWをやりたい

 49歳になる年、考えてみると人生の残りが少なくなってきたことに気づき、少年の頃からの「CWをやりたい」という思いがふつふつと湧いてきました。そこで一念発起して1999年(平成11年)に3級アマチュア無線技士を受験しました。まだCW受信試験があり、モールス符号をカセットテープの聞き取り練習テープで必死に覚えました。合格した時はほんとううれしかった。
 気合が入ったついでに、この年、2級アマチュア無線技士も受験し合格しました。

CW初交信は、汗だく

 CWでの初交信は、2000年(平成11年)で単身赴任先の福島市からでした。CWを加えた局免が届いたので、7MHzで何気なく「VVV DE JH7UBC」と送信していると、いきなり6エリア局が呼んできました。
 頭の中が真っ白になりながらもなんとか交信を終えると、まだ2月で寒い時期なのに汗をびっしりとかいていました。ここから私のCW人生が始まりました。そして、この年、FCWAに入会し、念願の1級アマチュア無線技士も取得しました。50歳のときです。

和文CWを始める

 CWを始めたころは、会津若松市に住んでいましたが、いわゆるアパマンハムでした。3階から目立たないようにワイヤーを張ってHFから50MHzを運用しました。約1年間は、縦振電鍵だけで欧文でCW交信を行いましたが、同じ局との交信が多くなり、ラバースタンプQSOに限界を感じ始めました。これは、和文CWを覚えるしかないと思い、和文モールスもカセットテープで覚えました。新聞を読んでも、道を歩いていても、文字見たら「ア」を「ツーツートツーツー」という具合に和文モールスに変換して、口に出して練習しました。
 こうして2001年より和文交信ができるようになりましたが、20年経った今でもまだまだ未熟だと思っています。

タワーを建てる

 退職が近くなった2007年、喜多方市に引っ越したのを機会に、夢であったアンテナタワーを建てました。タワー建設記は、こちら。クリエイトの20mタワーにHF〜50mHz用の3エレSteppIR、144MHz用の11エレスタック、430MHz用の20エレスタックを乗せました。更に、3.5MHzのインバーテッドVを張り、それにトラップコイルと延長エレメントを加え1.9MHzにもQRVしています。(昨年SteppIRが故障し、14MHz〜50MHzが出られません)

 タワー・アンテナとシャック


 シャック内の様子です。

 2011年に退職してからは、衛星通信、デジタルモード通信(PSK31など)によるDX交信を楽しむ一方、好きな電子工作を楽しんできました。

 リグを自作する

 2013年、CQ誌の付録の基板で7MHz QRP送信機を製作したのをきっかけに、RIGの自作にはまっています。JF1RNR今井OMの著書「手作りトランシーバ入門」を見ながら21MHz CWトランシーバを製作。それを7MHz用に改造し、VFOをデジタル化したのが、下の写真の一番右のリグです。その後も下の写真のようなCW QRP機や受信機を製作しました。詳しくは当局のブログやホームページをご覧ください。
 自作のRIGでの交信はメーカー製のリグでの交信とは一味違い、交信できただけでうれしいものです。



 交信会とコンテスト(近況)

 現在、毎週水曜日21時からのFCWA HF交信会(3.520MHz付近)のキー局を務めさせていただいています。この交信会のおかげで、CW技術の低下を食い止めていると言っても良いと思います。
 日頃のアクティビティは高くないのですが、年数回コンテストにCWを中心に参加してCW交信を楽しんでいます。
 また、毎年12月の第1土曜日に開催してるFCWA CW QSOパーティのコンテスト・マネージャーも勤めています。

 これからは、CW交信を中心した運用を楽しみながら、リグの自作も続け、マイペースでアマチュア無線を楽しんでいきたいと思います。JH7UBCのコールが聞こえましたら、交信をどうぞよろしくお願いします。

 参考までに当局のブログとホームページを紹介します。ご覧いただければ幸いです。
 JH7UBCブログ
 JH7UBCホームページ