FCWA会員自己紹介

2021.11.1

JR7NZV局



 JR7NZVの高橋豊です。このたび,自己紹介の機会をいただきました。

 当局がFCWAに入会してから,あっという間に何年も経過してしまいました。月日が経つのは随分と早いものです。さて,目標としていたCWの上達の方はどうかというと・・・。こちらの方は,諸般の事情により思うように進んでいません。未だにCW練習会にも加わることすら出来ないというのが実情です。

 ただ,私自身,リタイヤまでのカウントダウンが始まりましたので,そのうちに,今までよりは余裕が持てるのではないかな,などと思っています。その折には,少しずつでも上達して,今度こそ,埃を被った電鍵に出番を与えてやりたいものです。



 このような次第で,FCWAには今後もお世話になります。どうぞ,よろしくお願いいたします。

 以下,当局の自己紹介ということで,これまでにあった印象的な出来事などを振り返っていきたいと思います。


ハムになる

 BCLがブームとなり,テレビでもBCL用ラジオ(ソニーのスカイセンサー,ナショナルのクーガなど)のCMが流れていた時期がありました。当時,私は中学に入った頃でしたが,親にねだって(今思うと,裕福でない家だったのに親不孝な話です。)BCL用ラジオ(クーガ115)を買ってもらい,BCLとして国内外の短波放送などをひたすら聴いて喜んでいました。

 そのような中,NSB(日本短波放送)で放送されたハムの番組「僕らのアマチュア無線局(パーソナリティの子門正人さん,大橋照子さん)」と出会い,放送局のように世界に向けて自分の声を電波に乗せて飛ばすことが出来る「ハム」という趣味があることを知り,それに大いに興味を持ち始めました。そして,同時期に,また幸いなことに,同じNSBでハム養成のための番組「初級ハム講座(講師:JA1AP菅田直和先生,アシスタント:大橋照子さん,教材:初級ハムになる本)」の放送が始まり,それを受講する機会に恵まれました。

 このような幾つかの偶然が重なったことで,ハムに向かって背中を後押しされるように,その同じ年の11月,当時中学2年の私は,一人で福島から仙台まで行って電話級アマチュア無線技士国家試験を受け,同無線技士の免許を得ることができました。

 その後,無線局の開局は,高校に入ってからになりましたが,親にねだって(これも前同様,今思うと親不孝な話です。買ってもらった無線機(アイコム IC−551)で,市内にいる数えるほどのローカル局と夜な夜なラグチューなどして遊んでいました。そのような生活が数年続きましたが,進学,就職を契機に,ハムから離れてしまいました。


再びハムになる

 ハムとも無縁な生活を三十年近く送っていたところ,2011年3月に東日本大震災が発生します。この時,私は勤務先の関係でいた山形で,被災地の深刻な被害の状況の報道を目にしましたが,その中で,人命救助や災害の救援のために非常通信を行う多数のアマチュア無線局の様子も取り上げられました。このアマチュア無線局の災害時に献身的に活動する姿に胸を打たれ,「再びハムになろう」と血が騒ぎ出しました。

 これを契機に,所定の手続を経て,失効していた初級(旧電話級)のアマチュア無線技士従事者免許の再交付を受けるに至りましたが,その頃,CWに対して何となくおしゃれな雰囲気を感じ,興味が沸き始めたこともあったので,第3級免許も取得したいと更に欲が出てきました。

 それは7月の暑い時期のことでしたが,そのようなことを考えた当日,女子サッカーのなでしこジャパンが,ワールドカップの決勝で延長,PK戦の末,大逆転優勝するという奇跡的な事が起きました。この事実から私も勇気を与えられ,どうせ無線国試受験するなら,1アマ試験を受けてやろう,という気持ちに変わりました。そして,分からないながらも勉強を続けた結果,同年12月の国家試験を受けて,幸いにも,第1級アマチュア無線技士の従事者免許を得ることができました。

 その後,復活させたコールサイン(JR7NZV)で無線局を再開し,当時の居住先が三階建てアパートの最上階であったことから,ベランダに当時流行りの釣り竿アンテナとアンテナチューナー(アイコム AH−4)を設置し,HFリグ(ケンウッド TS590S)で運用を始めました。


FCWA入会,そして現在

 第1級アマチュア無線技士免許を得たものの,電気通信術の実技試験がなかったことから,CW技能は全く身についていないのが実情でした。CWに興味があって,上級試験をパスしたわけですが,CWには全く手も足も出ません。そのような消化不良の状況にあったところ,諸般の事情により故郷の福島に転居することになりました。手持ちのCW関係の本(CQ出版社「はじめてのモールス通信」)に,福島のFCWAという団体が掲載されていたことから,「今までのように独自に取り組んでいても変わらない。福島への転居を機会として,FCWAという団体に身を置き,CWの技能上達に結びつけたい。」との思いで,FCWAの事務局に問い合わせをし,入会させていただくことになりました

 福島に転居後,勤務先の関係で毎日往復2時間の自動車通勤をしていた時期が3年間程あり,その頃は,毎日がモービルハム(V・UHF)三昧で,あたかも,これまでの空白期間を一気に取り戻すような感じでした。その後,更に転勤があり,公共交通機関を使っての長時間の通勤となり,時間的な余裕もなくなってしまい,再び,ハムから離れた生活となっています。残念なところです。